腹痛時に「神様ごめんなさい」と謝罪する人々。お腹痛いときのあるあるだよな

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腹痛のとき、人は無力なものです。

どんなに頭が良くてもどんなに筋肉があってもどんなに金を持っていても、腹痛になると弱くなってしまいます。

そんな腹痛のとき痛みがどうしようもなくて、神に「神様ごめんなさい」と謝罪したことってありませんか?

私はあります。

これってお腹痛いときのあるあるなんじゃないですか?(笑)

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腹痛緩和は神頼み。我々はなぜ腹痛時に神に謝罪するのか

腹痛になる原因は様々ありますが、一度腹痛になってしまうとただただ痛くて苦しくて「この苦痛から解放されるならなんだってする!」なんて思ってしまいます。

そんなとき何をやっても治らないとき、人はなぜか神に謝罪し始めます。

だってもう他に手段ないんですものね。

神の罰だと思っている説

何か悪いことをしてしまったがために神の罰として腹痛を与えられたという体で謝罪します。

治るかどうかは謝り方次第です。

意識を別のところに向けるため説

神に謝罪することで腹痛にではなく神に意識を向けるため、腹痛が和らぐという説です。

つまり、神への謝罪じゃなくてもいいわけです。

渡しの場合、スマホで腹痛を連想されないサイトを見ているといつの間にか腹痛だったことを忘れることすらあります。

謝罪に見せかけた怨恨説

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と神に謝罪しますが、心の中ではドス黒い怨恨が渦巻いています。

「俺が何したってんだよ!!!」と神を恨んでいます。

治ったら忘れます。

神への謝り方一覧

ごめんなさい連呼

ただただ「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と連呼します。

家族に訊かれたら異様に心配されます。

心の中でごめんなさい

言葉を発する元気もないときか、公共の場のため声を出せないときの方法です。

心の声は切実です。

心を込めて手を組んでごめんなさい

もはやつらすぎて本当に神に頼るしかないときにこうなります。

「すいませんでした……!頼みます……!お願いです……!治してください……!」

と、藁にもすがる思いならぬ神にもすがる思いで念じます。

結局、神に謝罪して治るのか

正直わかりません(笑)

緩和されるときもそうでないときもあるので、神に謝罪してもしなくても変わらないというのが私の最終見解ですかね。

神よりも腸に「負担かけてごめん……」と謝った方がいいとすら言えます。

ていうか「むしろ殺してくれ……(切実)」って思いませんか(笑)

腹痛が痛すぎてこの苦しみから解放されるなら死んでもいいとすら思えるときがあります。

治ったら治ったで「行きててよかったぁ……」と生の充足を感じるわけですが。

まとめ

腹痛って病気なのにあんまり心配されたりしなくて、若干バカにされることも多いですからね。

たった一人の戦いなんです。

そりゃ神頼みにもなりますわ。

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