『相手の気持ちを考える』のは難しい。結局、人の気持ちはわからないものです

わからんコラム

何かを発言するときに『相手の気持ちを考えろ』と言われるようなときがあります。

確かに不用意な発言をすると誰かを傷つけることにもなってしまうので、相手の気持ちを考え人の立場になってみることは円滑なコミュニケーションには必要なことでしょう。

しかし私はこうも思います。

それは……

結局、人の気持ちをわかろうとするなんて不可能

ってことです。

人の心を推測することはできますが、理解することなんて不可能なんですよね。

人の立場になって考えなければならないという風潮は過激になっていき、

『相手の気持ちを考えて、何もできない

『相手の気持ちを考えて、何も発言できない

と、全ての事柄に規制がかかっていくのです。

誰ひとりとして同じ人はいない世の中。

相手の立場を考えてみても、それが勘違いで相手のことを履き違えていることもよくあることです。

良かれと思ってやったことが実は迷惑で相手に余計に嫌な思いをさせていることだってあるんです。

それはつまり、真に相手の立場になって考えることなど不可能ってことですね。

自分の価値基準で計った相手の気持ちなど、それは推測にしか過ぎません。

同じ立場にならないと同じ気持ちはわからない

例として、私が支持している人の一人であるホンマでっかTVでお馴染み武田邦彦先生の話を挙げてみましょうか。

彼の話は面白く、地上波のテレビじゃあまり放送できないようなこともYouTubeでは話されています。

世間一般ではなぜかタブーになっているようなことにも切り込んだり、おかしいことはおかしいとちゃんと言ってくれる人だと認識しています。

最近、彼がよくする話に『老人の交通事故』があります。

統計を見ると・・・高齢者ドライバーの事故

『老人が運転するのは危険だという風潮』に疑問を投げかけているんですよね。

老人の交通事故が増えたという見方はメディアが煽っているだけの半ば提造情報であるというのが彼の主張です。

私は彼の話を聞くまでは、老人運転手がどれだけ差別的な見方をされているかなんて知りませんでした。

しかしながら私は思います。

武田先生も、自分が老人でなければここまで老人運転手の擁護はしなかったんじゃないかということです。

自分が老人の立場になってみて初めて問題点に気づいたということもあると思います。

自分が老人だからこそ、批判される立場の気持ちがわかって擁護をしたと思うんです(……まあ、武田先生に限っては関係なくてもおかしいことはおかしいと言いそうですが……)。

何の共通点もない人の気持ちを推し量ることは難しいと思うわけです。

森友学園問題の『忖度』

2017年3月、それまで盤石を誇っていた安倍政権やその周辺を大きく揺るがす政治事件が起きました。

森友学園の理事長・籠池泰典氏へ大阪府の国有地が評価額の14%の値段で売却された問題のことですね。

問題の一つとして『忖度』という言葉が世に知られていきました。

忖度とは、『他人の気持ちを推し量る』という意味があり、つまり誰かが安倍首相のため良かれと思って国有地を値下げ売却するにあたり不正に口利きしたのではないかというのが争点になっているのです。

財務官僚の誰が忖度したと思われていますが、その問題によって安倍政権は窮地に立たされました。

他人のことなんて推し量ることなんてできないということが、事件の本質でもあるんですよね。

相手の気持ちを考えすぎると何も発言できなくなる

今のテレビは面白くないですよね。

自粛ばかりしているからです。

311のあと、テレビは自粛ムードの高まりでほとんどのCMが公共広告機構のものになったことは知ってますよね?

その時代を生きてきた私たちなら覚えているはずです(ぽぽぽぽーん)。

そしてそのCMばかりになり、逆にノイローゼになる人が出てきたという皮肉(笑)

相手の立場を考え、自粛することによりCMやバラエティ番組は放映できなくなったんです。

被害状況を伝えることは大事ですし、私も被災地域にいたのであのときは助かりました。

しかし、正直あのときは暗い気持ちを明るくさせてくれる番組が見たかった。

心の中ではそんな風に思っていた人も大勢居たんじゃないかと私は思いますよ。

自粛自粛でテレビがどんどんつまらなくなってきているように、「自粛しろ」という空気は条文もなく見えもしない規制になり私たちを苦しめることになっていくのです。

もっと好きに生きてもいいはずなんです。

それが多少誰かを傷つけることになったとしてもです。

立場は変わっていく。気持ちも変わっていく

昔は身長が低いことがコンプレックスで、チビと言われるだけでかなり嫌な気持ちになりました。

しかし今は「チビ」だの「ちんちくりん」だの「ミジンコ」だのと言われても全く何も感じません(何だと!?許さん!!←)。

自分がチビであることを受け入れられたし、チビであることをコンプレックスに感じなくなったからです。人類最強(進撃の巨人のリヴァイ兵士長)も戦闘の天才(ドラゴンボールのベジータ)もチビです。誇りに思っています(フィクションだけど……)。

チビであることを何も思わなくなった私は、それを自虐的に言うこともできるのですが、そんな自虐的発言をするとまだ自分がチビであることをコンプレックスに思っている人を傷つけることにもなりえます。

今の私の立場は『チビだけど気にしていない人』であり、『チビなことをコンプレックスに感じている人』とは大きく離れた場所(考え方によれば対局とも言っていい)にいて、相容れないものなのです。

許し合うことが大切なんだなぁ

何を言っても傷ついてしまうような人はいます(私ですw……HSPですから……)。

心から相手を気遣って出た言葉なのに、その相手は勝手に深読みして傷ついてしまうこともあるのです。

だから同じ立場に立とうとしても、相手に気持ちをわかろうとしても、忖度してみても、結局は意味がないということはざらにあります。

そんな傷つけ合う我々人間は『許し合う』ことが大切なんですよね。

相手のことはどうやったって理解できず、自分の尺度でしか計れないのならば、相手を尊重し多少のことなら許すんです。

相手の立場を推測し気持ちを推し量ろうとすることではなく、相手を尊重することが必用になってくるんです。

それは似て非なることなので注意が必用なんですよね。

つまるところ、相手への『無知の知』を持って生きろということです。

まとめ

さて、日本には一億人以上の人間が住んでいますが、その中の大多数が『2+2=4』だと思っていても、たった一人が『2+2=5』だと思っている人のために合わせるなんておかしいんです。

理解をしようとするのではなく、理解を強要するのではなく、尊重すること

これだけです。

言いたいことがうまく伝わったかはわかりませんが……。

いろいろ語りすぎてごちゃごちゃしちゃいましたがこのへんで。

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