自己責任論は自分に返ってくる。日本だけのおかしな考え方

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こんにちは、ユウスケ(@hsporz)です。

日本って何かあるごとに自己責任論が浮上しますよね。

2020年の初めから流行りだした新型コロナウイルスパニックでも、その自己責任論は度々語られることに。

新型コロナウイルスの拡散を防ぐため、様々なイベントが中止になっていますが、その殆どが実費で保証しなければならない状況にあります。

政府が自粛を半命令したのにも関わらず、その保証がないことも多くありますね。

全ては自分の人生だから自己責任であり、助ける義理はないと。

でもそんな自己責任論って、言った本人にも返ってくるんですよね。

それを身を持って知ってしまったら、そんな冷たいことは言えないはずです。

そんなわけでこの記事では、自己責任論は自分に返ってくるということを書いていきます。

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自己責任論は自分に返ってくる。明日は我が身

自己責任論ってある程度までは正しくて、そうやって生きなければならないように思います。

しかし、日本ではどんなことにでも自己責任を押し付けているように思います。

例えばちょっと前(と言っても今から5年前)、イスラム国に捕虜として捉えられた実業家・湯川遥菜とジャーナリスト・後藤健二がイスラム国により殺害されました。

そのときも自己責任論が巻き起こり、同情はなく「そんなところに行ったお前が悪い」とだけ言って突き放すような空気感が漂いました。

でもそんな自己責任論を語る人って、それが自分に返ってくるってこと分かってるんですかね?

自分が安全な場所にいるときは上から目線で好き勝手言えますが、どんな人でも窮地に陥ることはあるし、助けが必要になる場面は必ずあります。

もし自分が被害にあったとき助けを求めても、返ってくる言葉が「自己責任でしょ」なんて言われたんじゃ、泣きっ面に蜂です。

全てを自己責任だと跳ね除ける社会じゃあ、みんなが不幸になる結果しか見えません。

まさに明日は我が身ってやつですよね。

この不況な社会では度々貧困が取り沙汰されますが、自己責任論者は「貧困なのは自己責任」と言うでしょう。

しかし、貧困者には貧困にならざるを得なかった理由が存在し、それはどうしようにも埋められないものだったりもします。

例えば貧困家庭に生まれると経済的理由で教育の機会が奪われ、そこから抜け出すチャンスを手にすることが難しくなります。

逆に恵まれた家庭に生まれたなら教育の機会もたくさんあるし、上流階級のコミュニティーとも繋がれるので人生を発展させていくことが簡単になるということです。

そんなフェアじゃない2つを対等に見て自己責任論を振り飾るのはいかがなものかと思います。

自己責任論者になりやすく、自己責任論に違和感を抱かないという人は、つまり恵まれている人なんでしょうね。

自分が自己責任論で傷つく余地がないからです。

あくまで他人事だと思っているから、そんなことを言えるんです。

自己責任論者が貧困に陥ったときも貧困にならざるを得ない理由があるでしょうが、そのときは他の自己責任論者には「自己責任でしょ」と突き放されてどう思うんでしょうね。

自己責任論を振りかざしても結局は連帯責任になる

連帯責任とは一人がへましたらみんなも責任を負うというやつですが、社会にはどうしようもなく連帯責任というものがあるんです。

でも今の日本には、全ては連帯責任だという意識が足りていないのだと思います。

例えばあまりにも悲惨な人生を送ってきた人間が、凶悪殺人犯になったとしましょう。

凶悪殺人犯は多くの人間を殺し、死刑になったとします。

でも死刑にしたとことで殺された多くの人間は帰っては来ないんですよね。

ここに連帯責任が生じています。

私たちの総意で出来上がった社会の歪が凶悪殺人犯を作ってしまったのなら、被害に合う我々はその責任を取ることになってしまったということです。

大量殺人犯に同情の余地はありませんが、そんな化け物を生んでしまったのは我々なんです。

怖いですよね。

どうしようもなく連帯責任なんです。

自己責任=自分だけで完結することなんてありえないんです。

見出しのとおり『自己責任論を振りかざしても結局は連帯責任になる』ってことなんです。

思えば、『自己責任論はいずれ自分に返ってくる』というのと同義ですね。

もっと成熟した社会を目指すのなら、自己責任論社会からは脱しなければならないのです。

まとめ

自己責任論は自分に返ってくるということを書いてみました。

さて、日本人というものは世界的に見ても温和で優しい民族だと思われていますが、今の日本社会は冷たい自己責任論が闊歩するような冷たい社会となってしまいました。

高度経済成長期からバブル時代までなら日本人が誰でも心に余裕を持てただろうし、助け合うだけの余力もあったことでしょう。

みんな余裕がない中、変に競争をしているように思います。

自分の正当性を確立させるために、他者を蹴落としているようにも見えます。

悪い意味での自己責任ではなく、良い意味での連帯責任で社会を良くしていきたいものです。

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