こんにちは、ユウスケです。
『空気を読む』という日本独特の文化はいつから生まれたんでしょうね。
空気が読めないとKY(死語?)だとか言われて村八分にされてしまいかねません。
でも個人的に空気を読みすぎている人が多いように感じます。
そして日本はそれが行き過ぎて、息苦しく生きづらくなっている気がします。
空気を読まないと息苦しくて生きづらい日本社会。空気とはなんぞや?
「空気読めよ」と冷めた目で見られたことが人生で一度くらいはあるかと思います。
私自身空気は読めると自負していますが、実のところあんまり『空気を読みたくない派』の人間です。
そもそも『空気を読む』とはなんなのか。
空気とは、無色透明の複数の気体の混合物であり、窒素が約八割、酸素が約二割の……じゃなくて。
人間関係における『空気』とは、人が集まることによって生まれまれる謎の雰囲気のことです。
つまるところ『空気を読む』とは『行間を読む』と同じことではないかと思います。
『行間を読む』とは小説などの文章において、直接表現されていない筆者の真意をくみとることを言います。
察するということですね。
みんな察するということをやりすぎて限界値に来ているような気がします。
この日本特有の察しの文化のせいで国内は息苦しいです……。
空気を読みすぎて空気が悪くなっている
空気は読み物ではありません。
実は空気は吸うものなんです。
だから空気が悪くなると息苦しくなったりするのです。
感じやすく自分が悪いと感じる空気に耐えられない人はなんとかしようと奮闘しますが、同じく感じやすく悪い空気にも耐えられる人は「空気なんて悪くないし。ていうか空気を無理に良くしようと努力する分、空気の悪さを助長してやしないか?」と思っていたりします。
ほんのたまに空気というものを全く読めない人もいます(逆に羨ましい)。
だからこそ『あえて空気を読まない』ことが大事
私は日本国にいる大多数の人間と同じくある程度空気読むことはできます。
でもみんながみんが空気を読んでいるから、なんだかつまらないなぁと感じることがあります。
あえて空気を読まないという人になれば他人の意見(=空気)に流されることもなく、他人から何を言われようと「おいら空気読めねえからなぁ……」と言って回避することすらできるのです。
この社会に息苦しさを感じているのなら空気を読むのをやめてみるのもいいかもしれません。
「空気なんて読まない やってみよう!」 by WANIMA
auのCMで『やってみよう』という歌が使われたことがあります。
歌っているのはWANIMAのみなさん。
替え歌であり、元の曲は童話の『ピクニック』です。「丘をこえ行こうよ~口笛~ふきつ~つ~」ってやつですね。
『やってみよう』歌詞の中に『空気なんて読まない やってみよう!』という言葉があります。
嫌に元気を貰える歌なんですが、やっぱり空気を読んでばかりいると何もできない人生になってしまうんだなぁって感じました。
もっと自由に生きていいんです。
みなさんも空気なんて読むことはやめて、やりたいことを『やってみよう』!!
まとめ
空気空気言っていると何も発言できなくなりますからね。
空気の読みすぎが日本を息苦しくし生きづらくしている原因だと思います。
あえて空気を読まず、周囲に反感を買ってでもいいから自由に過ごしたいものです。
以上、ユウスケがお送りしました。