HSPでも感受性には人それぞれ強弱がある

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HSPの認知度は昨今上がりつつありますが、自分がHSPか非HSPかどうかが曖昧だなんて考えている人もいるかと思います。

HSPは感受性が強いと言っても人それぞれ違いがありますから。

『完全なHSP』も『完全な非HSP』も存在しないってわけです。

HSPは度合いだっていうことですね。

この記事ではHSPの感受性の強弱について書いていきます。

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HSPでも感受性には強弱がある。『完全なHSP』『完全な非HSP』は存在しない

HSPでも感受性には人それぞれ強弱がある

私は強い刺激が苦手なこともありHSPだと自覚していますが、HSP診断の中では完全に当てはまらない項目もあります。

そのため『完全にHSP』だと認識し自称していいかと迷ったことがあります。

でもいろいろ考えるうちにそんなことを考える必要はないのだと思い至りました。

なぜならどんな物事も曖昧が常であり、『完全』なんてものはこの世に存在しないからです。

だからHSPにだって感受性の強さ弱さはあるんです。

人間には感受性のゲージがあり、それが敏感の方に近いならHSPで鈍感の方に近いなら非HSP。

色のようなもので、単純に区切ることはできないのだと思います。

赤や青のように特定の色に名前はありますが、どこからどこまでが赤でどこからどこまでが青かなんて人によって定義は違うのと同じことです。

そんな感受性の高い人がHSPですが、HSPの中でも感受性が強い弱いもあるもの。

例えば今はなき歌手の尾崎豊はその繊細さからHSPなのではないかと言われています。

彼は1992年に没するまでに多くの名曲を残し伝説的に語られるまでになりましたが、その人生は過酷そのものでした。

そんな尾崎豊と私の感受性は同じじゃないだろうけど、(たぶん)尾崎豊と私は同じHSPなのです。

HSPの中でも特に感受性が強い人は無理しないで生きよう

HSPという概念自体が曖昧なものだから、感受性が強くても自分がHSPを自称していいのかどうか迷ってしまうこともあるかと思います。

そんな人は、『HSPが楽に生きる対策』が自分に合っていると感じたのならHSPだと断定してもいいかと。

例えば耳栓やサングラスを常用してみたら楽だったり、一人の時間を増やしてみたら快適になったりと、HSP対策として本に書いてあるようなことを実践してそっちの方が合っていると感じたのなら自分はHSPなのだと思って物の見方を変えていくことが無理せずに生きられるコツだと思っています。

私は前述した尾崎豊ほどの感受性の強さはないと思いますが、それでもそこそこの感受性の強さはあると自負しています。

私はHSPだと自覚したので、もう無理しないように生きようと決めました。

今までは「みんなできてるんだから自分も頑張ろう(死にそうなほど疲れてるけど)」って感じで生きてきましたが、それはもうやめました。

完全にHSPだという自信がなくてもHSPらしく生きることを勧めますよ。

まとめ

HSPの感受性強弱についてちょっと書いてみました。

「HSPって自称しても大丈夫かな……」って思っちゃいますが、そう思うことこそがHSPの証明なのかもしれませんね。

HSP度が高くても低くても自分らしく生きていきたいものです。

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