日本の不寛容な社会を生きる考え方。反対意見の批判ばかりでも怖くない

不寛容ライフハック

人はそれぞれ違う意見を持っています。

例えば自分と同じ遺伝子コードを持ったクローンを作ったとしても、それが産まれた段階から意見は別のものとなっていくはずです。

しかしながら、自分と真っ向から違う考えに出くわしたとき、なぜかムカついてしまいます。

自分と他人は違うから意見が違うことは明らかなわけですが、それを許容できない人が増えており、日本が不寛容な社会になっているようです。

今回はそんな不寛容社会で生きるための考え方を書いてみたいと思います。

反対意見が許容できない!っていう不寛容な人が増えた?

誰でも自分と違う意見を持っているのに、自分が何を言っても変えることはできないというのにそれを正そうと躍起になって言い返すことすらあります。

しかし、よくよく考えるとそんなことって傲慢ですよね。

だってそれ、相手の意見を認めていないってことなんですから。

喧嘩でも宗教戦争でも原因は意見の対立からです。

「自分はこう思うけどあいいつはこう思っているからムカつく」なんて理由で始まる喧嘩がほとんどじゃないでしょうか。

みんなの意見を一緒にするなんて不可能だし、したくないですよね。

しかしなぜか反対意見にムカついてしまう人は多いです。

私は友達や姉弟の発言にムカついたときに、いったん落ち着いてなんでムカつくのかを考えるようにしています。

そこで思い至ったことは『他人の意見というものはどこまで行っても他人』の意見ということです。

それがどんなに近しい人であろうと『自分の意見』じゃないかぎり完全に受け入れることは不可能です。

気分良く過ごすために反対意見は目にしないこと。批判はただの意見

人はなぜか悪いニュースの方の方が興味を惹かれます。

他人はどうであれ『自分にとって悪いニュース』とは誰にでもあるもので、自分はどう考えても悪いニュースだと思うことでも世間では連日良いニュースのように取り上げられたりしているとそれを観ることでストレスが溜まります。

気分良く過ごすためには自分に合わない『自分の反対意見のニュース』はあまり観ない方がいいのかもしれません。

しかし不可抗力で自分が許容できない意見を前にしたとき、その意見を嫌々でも頭の中に入れなければならなくなります。

そんなときは『ただ意見が違うだけ』ということを思い出してください。

意見が違って当たり前だということを思い出してください。

相手の意見を無理に許容するのではなく「そんな意見もあるんだ、ふーん。自分の意見とは違うけど」と軽く流してください。

憎悪の対象になっていた人が自分とは関係のないただの他人に思えます。

自分がムカついていたことが大したことないことのように思えてくるはずです。

みんなが不寛容になった社会で寛容に生きることは難しいことかもしれませんが、その生き方が社会を良くするんです。

寛容な社会を作るためにまずは自分が変わることを意識しましょうね。

自分の意見が絶対的に正しいということはない

自分が「これが正しい!」と思っていることでも、誰かに執拗に諭されたり真っ向から否定され続けると自身があっても疑い始めてしまいます。

自分自身の意見が道徳的に正しくても、社会の風潮がそれを正しいと判断しない場合それは正しくないことにされてしまいます。

立場が違えば正義は変わります。

それは今までの歴史が証明していますが、本当にそれだけなんでしょうか?

絶対的に正しい『正義』とは存在せず、相対的に変わってしまうことこそが『正義』なんでしょうか?

世間一般ではそうとされていますが、私はそうとは思っていません。

立場だけで正義自体が変わってしまうのなら、立場上正義を執行したがそれは罪だったとき(戦争での敵兵殺傷など)に罪悪感なんて感じないはずですが、人はそうはなりませんから。

それを道徳心と言いますよね。

道徳こそが真の正義、正しいことだと思います。

これはただの私の『意見』ですが。

まとめ

最近はテレビを観て「またくだらないことを報道しているよ……」とか感じてしまうひねた私ですが、最近は他人の意見を許容せずとも受け流すことはできるようになっています。

相手方の意見がありそれが自分の意見と相対するものならば、自分の意見だって相手にとっては反対意見です。

なんにしても受け入れられずとも『意見があることを許す』ことが必要なんですよね。

寛容な社会を作るために私自身も寛容になる必要があるようです。

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