『いじめられる方が悪い』という考えが理解できない件。原因はあれど非はない

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最近でこそ『いじめ』というものは世間一般的に問題しされていますが、一昔前はいじめは『いじめられる方が悪い』という考え方が主流だったりしたそうです。

その思想が一般的にあった時代に生まれなかったことを喜ばしく思いますが、ネットを見てみると今でも『いじめられる方が悪い』と考える人は一定数いるようですね。

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私は『いじめられる方が悪い』と考えている人が理解できない

いじめ

私は『いじめられる方が悪い』という考え方に否定的なのはもちろんのことですが、それよりもその考え方を持っている人のことが理解できないといった感情の方が大きいと思います。

そういう考えを持っている人はまさに自分がいじめられる側になったとき、「いじめられる方が悪いのだから私が悪い」と割り切れるのでしょうか?

最初はそう言っていられるしょうが、いじめが苛烈になってきたときにもそう言い切れるのでしょうか?

たぶん一番つらくなったとき、やっぱり『いじめられる方が悪い』という考えを捨てる人もいるんじゃないかなぁと思います。

原因はあれど非はないはずの『いじめられっ子』

「原因があるからいじめられる」「原因を作ったいじめられっ子が悪い」とその手の人たちは言いますが、確かに原因はあれどいじめを能動的に行ったのはいじめっ子であり、いじめられっ子に非はありません。

原因があるなら自分の行為が許されると考えるのはあまりに横暴だとは思いませんか?

まあ、非があったからといっていじめてもいい言い訳にはなりませんがね。

いじめという行動を起こさなければ加害者にならずにすんだ『いじめっ子』

現代では『いじめ問題』というものは社会問題として扱われ、いじめ加害者はかなり不利な状況に置かれることになります。

いじめが発覚した学校は猛バッシングを受けるし、いじめた本人たちも親子揃って世間から批判される憂き目に合います。

いじめという行為をしなければ加害者にならずに済み、加害者バッシングを受けることもなかったはずです。

小学生くらいの子供なら周りの大人たちが目を光らせ、成長のためにもある程度のいざこざは目をつむることも必要ですが、中高生にもなってわざわざいじめをするなんて馬鹿馬鹿しいとは思いませんか?

条件反射や無意識的な行動はどうしようもありませんが、いじめは能動的な行為です。

自分が起こそうとしなければ何も起きないはずなんですけどね。


加害者家族 (幻冬舎新書 す 4-2)

被害者だけじゃなく加害者も後々に禍根を残す

いじめ被害者というものはその体験から自己肯定感を失ったり、それが原因で人間恐怖症になったりします。

それが原因してそれ以降の生活が一変し、社会不適合者になり幸せから遠のいた人生になってしまうこともありえます。

そして実はいじめというものはいじめ被害者だけでなく、いじめ加害者にも禍根を残すんです。

いじめは自分に自身があり行動力さえあればすること自体はとても簡単です。

しかし一時の自尊心の充足を得られたとしても、そのあとに訪れるのはいじめ加害者だったという過去だけです。

大人になるに連れて道徳心も養われ、自分が過去に行ってしまった暴挙を後悔することもあるでしょう。

昔の知り合いだから再会することも許してもらうこともできず、ただひたすらに罪悪感に苦しむことになります。

もしかしたらいじめ加害者の方がつらい人生になってしまうのかもしれませんね……。

いじめ加害者の心理をよく知りたい人は『聲の形』という漫画を読んでみてください(アニメ映画もあります)。


聲の形(1) (講談社コミックス)


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他人事(ていうかフィクション)なのに心が痛くなり、最後には救われた気持ちになる物語なのでぜひ。

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いじめ加害者を正義正論を盾にいじめる人たち

よくネット上には犯罪者や道徳的でなかった者を叩く人たちがいます。

何かの罪を犯した加害者は多少は責められるべきでしょうが、それでも日頃ネットを見る限りではやりすぎだと感じています。

例えばどこかの学校でいじめが発覚し、加害者も特定されてしまったとき、そこからネットと現実双方でいじめ加害者バッシングが始まります。

学校に通っているということはまだ子供だろうし、その親だってまだ人間的に未熟であろう若者でしょう。

そんな人たちをたった一度の過ちで、見えないところから手の届かないところから叩くのはおかしいです。

それって、『いじめが許せない人たちによるいじめ』じゃないですか。

いじめはダメ。でもいじめっ子ならいじめてもいい。なんて考えはおかしいです。

正義正論を盾に取ったいじめが一番質が悪いと思うのは私だけでしょうか?

それとも『いじめられるようなことをしたいじめっ子が悪い』のでしょうか?


他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑 (幻冬舎新書)

日本のネットが批判ばかりな件。2chやSNSの意見は気にしないこと
インターネットというものは発足して以来、ある程度自由が維持されてきました。最近でこそヘイト発言の規制など目立つようになってきましたが、それでもまだまだ圧倒的な自由が保証されています。しかし自由だからこそ無秩序になってしまうものです。日本でも...

まとめ

いじめについて長々と書いてしまいました。

日本という国は大人でもいじめをする陰湿な国民が存在するので、誰にとっても身近な問題だと思います。

他人を傷つけて得られるものは何もなく、失うものの方が多いのにどうしてなくならないんでしょうかね?

少なくともいじめは『いじめられる方が悪い』という認識が日本中からなくなれば良いと思っています。


いじめのある世界に生きる君たちへ – いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

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